熊野古道。それは熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へ通じる祈りの道です。熊野は『隈』の字だった言われるほど山深い地域で、死者の魂がこもる場所と信じられてきた地域。行くだけで命がけ、それでも多くの人が甦りを願って参拝に訪れていました。
明治時代以降、熊野古道周辺の神社が激減し廃れた事もあったのですが、その後の尽力で2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
今回は、そんな古の人々が願い歩いた熊野古道の中辺路(なかへち)を歩いてきました。その様子をご紹介。
熊野古道「中辺路」のコース・計画
中辺路、滝尻王子から熊野本宮大社まで38km余りを2日間で歩く。
熊野古道は、主に下記のようなコースがあります。
- 中辺路(なかへち)田辺から熊野本宮に向かう
- 大辺路(おおへち)田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう
- 小辺路(こへち)高野山から熊野本宮へ向かう
- 大雲取越・小雲取越
- 紀伊路
などがあります。今回はこの中で「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど沢山の人が行き来した中辺路「滝尻王子」から「熊野本宮大社」までを2日間で歩きます。この1泊2日に移動日と観光を含めて3泊4日で計画しました。
実は昨年(2015年大晦日)にも同じ道をチャレンジして、その時はアキレス腱の痛みに耐えかねて踏破できませんでした。今回はその失敗をふまえて、事前に体のメンテナンスもしてきたつもりです。
中辺路へのアクセス
中辺路の玄関口は、和歌山県紀伊田辺市。まずはここまで移動です。紀伊田辺駅から目的の王子までの移動はバスになります。
紀伊田辺駅から滝尻王子までは、朝6時35分の発心門王子行きが始発だと思います。(2016年12月現在)
【関連リンク】熊野古道に関するバス時刻表
1日目:移動日 名古屋駅〜紀伊田辺駅
名古屋から新大阪経由、新大阪から特急くろしお号で合計約6時間。名古屋から新大阪まで新幹線を使うと1時間余り短縮できます。この日は移動だけにして翌日からの古道歩きに備えました。
2日目:熊野古道 中辺路ウォーキング1日目 滝尻王子〜近露王子
熊野古道1日目は、滝尻王子から近露王子まで。この区間は山道が中心でアップダウンも激しいです。去年は近露王子の1つ先の継桜王子まで歩いたのですがここで断念。その経験から1日目は自分の体の様子を伺いながら短めの予定を計画しました。
ただ下記にも書きましたが、地すべりのために設定されている迂回路がやや大変なので、歩ける人は継桜王子まで歩いた方が2日目が楽です。
- 歩行距離 13km
- 時間5時間(休憩含む)
3日目:熊野古道 中辺路ウォーキング2日目 近露王子〜熊野本宮大社
熊野古道歩き2日目(3日目)は前日の続き。前日ほどアップダウンは無いということで、長距離の歩きを計画しました。
- 歩行距離 24.7km
- 時間8時間(休憩含む)
ただし迂回路は、やや険しい山道
途中、岩神王子近辺が地滑りの危険性があるために迂回路が設定されています。
この迂回路がなかなかの山道で体に負担でした。1日目で近露王子ではなく次の継桜王子まで歩ければ約3.9km分の負担が2日目で減るので、この迂回路の負担軽減になります。
4日目:移動日 新宮で観光、新宮駅〜名古屋駅
新宮で熊野速玉大社へお参り。特急南紀で乗換なしで時間3時間半あまりで名古屋まで帰ります。
継桜王子、近露王子付近の宿はお正月はすべてお休み
できれば近露王子もしくは継桜王子の近くの宿で1泊したかったのですが年末年始はすべてお休み。仕方ないので、1日目は近露王子から紀伊田辺駅までバスで戻り、翌日はバスで近露王子から続きを歩く計画としました。
服装:夏なら虫よけ対策が必須かも。
山道が中心の熊野古道。今回のような冬であれば、一般的な暖かく動きやすい服装とウインドブレーカーで大丈夫だと思います。
靴はスニーカーより山道に向いた靴にするのをおすすめします。(登山靴では大げさすぎです)
夏は虫除けや虫対策となる服装が必要だと思います。
そして、どうしても携帯がつながらない場所が多数あります(特にソフトバンクは壊滅的でした)ので、低山程度の装備・ファーストエイドキットなど万が一の準備をして行くのをお勧めします。
【関連リンク】世界遺産・参詣道 携帯電話通話可能ポイント
こんにちは。12月29日の名古屋駅です。まずは紀伊田辺駅までの移動です。
新幹線使えば早いですが今回もケチケチ移動。まずは東海道線を大垣まで移動。
大垣駅で普通電車に乗り換え米原駅まで。そして米原駅で新快速に乗り換えます。
新大阪で特急くろしお号に乗り換えます。あべのハルカスは一度は行ってみたい。
紀勢本線をガタンゴトン!
名古屋からおよそ6時間、紀伊田辺駅に到着。駅近くのビジネスホテルで翌日に備えます。
そして翌朝。紀伊田辺駅を朝6時35分発、発心門王子行きのバスに乗車。まだ薄暗い紀伊田辺駅市。
バスに揺られておよそ35分、滝尻に到着。
川を渡ってすぐ左側が滝尻王子。世界遺産の碑も鎮座してます。
滝尻王子は、滝尻王子宮というのが正式名称なのかな?
荷物を整え、準備体操をして中辺路へ出発!
この起点から最後は75番まで。およそ500mごとに設置してあるので熊野本宮大社までは約38kmの道のりです。
滝尻王子の奥に古道があるのですが、最初からいきなりの急登(^_^;)
歩き始めて100mメートルほどでしょうか、胎内くぐり。
女性がくぐると安産になるそうです。ザックを下ろせば行けないことはなさそうだけど、ブログ主はこういうの怖いから辞めました。
乳岩。藤原秀衡の奥さんがここで産気づいて出産したが、その子はここに残して熊野に向かった。でもその子は狼に守られて無事だったという。これはこんな酷いことまでしてでも詣でた熊野三山の存在の大きさを示す逸話なのでしょうか。
それにしても歩き始めは普通の登山道、朝日がまだ当たらない道はとてもヒンヤリしてます。
そして不寝王子に到着。
剣ノ山。ここには経塚跡がって、かつて経典を経筒にいれて地中に埋めた所との事。中身は盗掘されてしまったらしいのですが、常滑の壺(経筒)が古道館に展示されているそうです。常滑の焼き物がこの地まで来てたのかぁ。
古道にようやく朝日が当たり始めました。
一旦現代の道にでます。道には案内看板もしっかり立っていて迷うことはないでしょう。
針地蔵尊を通って、
NHKの中継アンテナを通過して、
ようやく人の気配のある場所に出ます。
ワンワン!甘えん坊な女の子でした(^^)
不寝王子から1時間ほどだったでしょうか、高原熊野神社に到着。お正月の飾りに地元の人達に大切にされているお社だというのが伝わりますね。
ここに高原霧の郷休憩所というのがあるのですが、
まだまだ元気なブログ主はこのまま先へ向かいました。
石畳で雰囲気が良いのですが、この石畳がけっこう滑りやすい(^_^;)
お?このモフモフなお御足は?
急な石畳を登りきったら、ここから再びしばらく山道です。なので先程の休憩所での準備は大切だったりします。
しかしブログ主の体調は万全、行きましょう!
この石畳は当時のままなんだろうか。
一里塚跡。昔の人はこれを目印にしておよその位置を把握していたのでしょう。
道は、この辺りからは静寂に包まれます。
そして高原池では、鳥の声や風の音、枝がぶつかる音もなく全くの無音。屋外で耳が痛いほどの静寂は初めての経験でした。
高原池からほどなく大門王子に到着。
そして大門王子から30分ほどで十丈王子(重點王子)に到着。
ここにはとても綺麗なトイレが整備されています。チップを支払って少しだけ休憩させてもらいました。
さぁ次の大坂本王子へ向かいましょう。
小判地蔵。1854年(嘉永7年)に小判を咥えながらここで倒れた人を弔うために祀られたのだそうです。道休禅定門という戒名が彫ってあることから、豊後国(大分県)の有馬郡の人のお地蔵様と読めるそうです。
小判を噛んでたのは、地元の人に弔いをお願いするためのお金とも言われているそうです。このお地蔵様、口元で小判を噛んてる?
当時は、この巡礼中に行き倒れてしまう人も多数いたそうです。これほどのリスクを負ってまでの巡礼、どんなに大きな存在だったのだろうか。
悪四郎屋敷跡。悪四郎の「悪」は悪者と言う意味ではなく勇猛で強いという意味だそうです。江戸時代の熊野道中記には、
昔十丈四郎と云者住し処なり
という記述があり、それがここだろうとの事です。こんな山の中に住んでたのか。
そしてここには三体月伝説。
今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた1人の修験者が、里人に「わしは11月23日の月の出た時、高尾山の頂きで神変摩訶不思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現れる。」
半信半疑で村の庄屋を中心に若衆達が、陰暦の11月23日の夜、高尾山に登って月の出をまった。やがて時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔をのぞかせ、あっというまにその左右に二体の月が出た。三体月の伝説は、上多和、悪四郎山、槇山にもある。
この伝説が伝わる悪四郎山の登山口。30分ほどで行けるそうですが今回は通過しました。
そしてまた一里塚跡。
それにしても、この辺りは本当にただの山道で、つづら折りの急な坂を登るところもあります。
そして景色が見渡せるあたりには、
上多和茶屋跡。熊野詣が盛んだった頃には、こんな山の中に茶屋があったそうです。そして旧暦の11月23日には大勢集まって、上記の月の出を待ったそうです。
茶屋から道を下って細い林道に合流。そして大きな林道を横断して、
再び林の中へ。
沢沿いの道を進むと、
大坂本王子に到着。
資料によって、さかの字が阝(こざとへん)だったり土ヘンだったり。本来は坂だったのが阪に転じたのかな。
大坂本王子からさらに沢沿いを下ると、新逢坂トンネルを抜けた国道311号線の脇に出ます。
そしてほどなく道の駅”牛馬童子ふれあいパーキング”に到着。ようやく人の気配がある場所。
この道の駅から少し歩いた場所に、道の駅の名前になっている「牛馬童子」像があります。
階段を上がると林道に出ます。先程の道の駅に車を駐めて牛馬童子を見てくる人が多数いらっしゃいます。
ここにも一里塚跡。
そしてこれが牛馬童子。
その後ろには宝篋印塔(ほうきょういんとう)。鎌倉時代のものらしいです。900年近くこの場所に建ってるんですね…
さぁ今日のゴール、近露までもう少し。
階段を下ると近露の集落が見え始めます。
桜の季節だと可憐だろうなぁ。
集落に出て、日置川を渡って、
近露王子に到着!12時前に着いちゃいました。前回はアキレス腱が痛くてここに来るのに6時間以上かかってました。
次の継桜王子まで歩こうかなとも考えましたが、余裕を見て紀伊田辺駅まで戻ることにしました。
なかへち美術館の横のバス停、12時51分の紀伊田辺駅方面の快速熊野古道号で宿まで戻ります。
この調子なら翌日も大丈夫そう、明日に備えますか。
次回、甦りを願う古の人々の願い。世界遺産 熊野古道「熊野参詣道中辺路」を歩く。近露王子〜熊野本宮大社に続く。
【関連リンク】熊野ツーリズムビューロー