前回の記事、奥穂高岳に1泊2日で登山!紅葉真っ盛りの涸沢を抜けてザイテングラート〜穂高岳山荘まで移動編の続きです。
思いのほか疲れ果ててしまった上高地から涸沢経由での穂高岳山荘までの道のり。ヒィヒィ言いながら何とか穂高岳山荘へ到着しました。2日目はこの登山旅の大きな目的たる、奥穂高岳から吊尾根、前穂高岳から重太郎新道を下り上高地まで頑張って下るため、穂高岳山荘で鋭気を養って2日目に備えるのでした。
奥穂高岳への登山プラン
2日目:穂高岳山荘を出発、重太郎新道を下って上高地へ
2日目は、穂高岳山荘を出発して、奥穂高岳 →吊尾根 →紀美子平 →前穂高岳 →紀美子平 →重太郎新道 →上高地
という行程です。
重太郎新道の下りでの利用について
実際に下ってみて、今回は重太郎新道のクサリ場やはしごは、落石に注意し、慎重に歩けば決して不安はありません。ただ、同じルートなら今回と逆のルート、時計回りの方が安全で快適かもと思いました。
安全面に関しては、毎年何かしら滑落事故が起きている重太郎新道の下り、当然登りより下りの方が危険性は増しますし、奥穂高岳の下りとザイテングラートの下りさえ注意すれば、横尾からはもう完全にハイキングコースです。疲れた体にはクールダウンになるし快適に感じるかも...と思います。
まぁどちらにしてもご安全に!ということです。
穂高岳山荘で宿泊
穂高岳山荘に入ってすぐの受付でお支払いですが、山小屋では珍しくクレジットカード決済ができます。でもJCBは使えませんでした(^_^;)
【追記】使えるようになりました。クレジットカードご利用のご案内
9月の最終週の土曜日のこの日、大混雑を覚悟してMy寝袋とマットを持参したのですが、幸いにも余裕な予約状況でした。重たい荷物無駄だったな(^_^;)
室内も清潔な穂高岳山荘。朝の天気が悪かったから登山者そのものが少なかったのかな?
穂高岳山荘の受付のすぐ脇には”太陽のロビー”という所がありまして、
このロビーからご来光を見ることができます。テレビや薪ストーブまであって、小屋というよりもちょっとしたペンションみたい。
太陽のロビーの向かいには談話室があります。様々な本があります。ちなみにこちら側の窓から夕日も見ることができるそうです。
そしてこの本棚の横には、穂高岳山荘の礎を築いた”今田重太郎”さんを称えるレリーフがありました。
今田重太郎について
穂高に生涯をささげ、「穂高の名ガイド」と呼ばれた今田重太郎。
▲現役時代の今田重太郎
標高2,996m、奥穂高岳山頂直下に建つ「穂高岳山荘」の礎を築いた。
その生涯を通して、登山客の命を守り、登山客が安全に体を休めて英気を養える快適な山小屋造り、登山に慣れない女性子供でも安全に通れる登山道造りを目指した。
「人の倍力があって、人の3倍仕事をする。何かやろうとしたら、ものすごい情熱を持ってやりとげる人でした」(今田英雄談)。「僕は穂高に生かされている」
生前重太郎がよく口にした言葉である。明治31年 岐阜県上宝村蒲田温泉で誕生
大正10年 重太郎22才、穂高登山の案内人となる
大正12年 穂高稜線に避難小屋の必要性を痛感し、実地調査に着手
大正13年 奥穂高白出のコルに位置を設定し石室を造り穂高小屋の基盤をつくる
大正14年 穂高連峰初の山小屋「穂高小屋(20人収容)」完成
昭和26年 上高地から穂高へのルート「重太郎新道」完成
5才の紀美子を遊ばせて道づくりをした前穂との分岐点は、後に「紀美子平」と呼ばれる
昭和32年 穂高小屋の増築、大改築開始
昭和33年 穂高岳山荘(100名収容)に改称
昭和36年 涸沢岳大雪渓に水源地を見出し水道を引き「天命水」と命名
昭和36年 風力発電機1基を設置(北海道山田式風車)
昭和42年 有限会社 穂高岳山荘設立
昭和48年 穂高岳山荘50周年。重太郎75歳現役引退
昭和49年 勲六等単光旭日章を受ける
平成5年8月31日永眠 享年94歳
【参考リンク】今田重太郎について
この小屋を建てるモチベーション、苦労に思いを馳せずにいられません。今田さん本当にありがとうございます。
そして一番の楽しみの夕食!と言いたい所でしたが、疲れ果ててしまったためか食欲が全然沸かず、おかわりどころか残してしまいました。こんな調子で重太郎新道の下りは大丈夫かな...
と不安を抱えたまま1日目を終了したのでした。
登山2日目、奥穂高岳への登山と重太郎新道の下り。
残念ながらご来光は見ることはできませんでした。とりあえずはご来光っぽい朝を迎え、食堂で朝食を頂いたのですが、前日同様に食欲は復活せず。とりあえず頑張るしかない2日目です。
出発準備を整えている間、時々ガスが抜け雲間から見える太陽はずいぶん昇っていました。
涸沢ヒュッテのテント場には、まだお日様は当たってない。ここにお日様が当たるのはやや遅そう。
で、こちらは北穂高岳方面。ここから大キレットを通って槍ヶ岳まで行けるけど、大キレットは怖いなぁ。まだまだ全然行ける気がしないなぁ。
↓ついに登ってきちゃいました。
さぁ、まず今回の登山の目的地である奥穂高岳へ向かいましょう。穂高岳山荘さん、ありがとうございました。
見た目は急な岩場をよじ登ったり、はしごが連続していたりで恐ろしいのですが、
最初の急な岩場を超えたらすぐ頂上だと思っていたブロ主は、まだ頂上が先だと知って軽く心が折れる(*_*;
日本第3位の奥穂高岳!3190mの頂でござい。もう疲れた(^_^;)
頂上ではひとときの間ガスが抜け、これから進む吊尾根と前穂高岳。そして、
前穂高岳の麓、紀美子平も見ることができました。午後からの好天の予報に期待かな。
そして西側にはジャンダルム。あんなすごい所に人が立ってるのが見える、恐ろしい...
どうか、今日の登山の安全をお願い致します、僕も気を付けますので。
さ、奥穂高岳の山頂で一瞬でも景色が見えたのだから良しとしよう。吊尾根へ向かいます。
吊尾根は、名前には”尾根”と付いてるけど尾根の稜線上を歩くわけではなく、側面を歩いていきます。そういう意味では安心ではあるのですが、
それでも歩みを外してしまったら奈落の底な場所も...危機感はあるのですが、気は抜けませんが実際は比較的安定して歩くことができます。
またクサリ場もあるのですが、しっかり足をかける場所もあるので、このルートを”登りで使うなら問題ない”とまで言って良いかも。ブログ主は下りますが(^o^;)
乗鞍岳が見えてきました。あっちはほどんど車で行ける3000mなんだよねぇ(^_^;)
そして手前には焼岳。この火山は御嶽山の噴火とは関係性はないのかな?
赤い屋根の建物の間には河童橋、その上には上高地バスターミナルまで見えます。
岩だらけのこんな厳しい環境に、ハクサンイチゲが咲いていました。カワイイなぁ。
そして前穂高岳の麓、紀美子平に到着。前出の今田重太郎さんは重太郎新道を切り開く時、娘さんである紀美子さんをここで遊ばせていた事が名前の由来だそうです。
本来はここから前穂高岳へ向かう予定でしたが、体調も優れなく天候も良くないので通過することにしました。ここなら再び来れる自信は付いたから、いつか再チャレンジしよう。
ここからは、今回の下山での難所である重太郎新道の下りが始まります。
浮石が散見されるこの下り、絶対に落石しないように気を付けなければなりません。万が一でも人に当ててしまったら大惨事になってしまう。
こんな絶壁にはしご、しょっぱなから気の抜けないスリリングな下山。
慎重に下っていたら、遠くに岳沢小屋の赤い屋根が見えてきました。でもまだまだ遠い(*_*;
このあたりは雷鳥の住処であるハイマツがいっぱい生えています。
そして雷鳥広場まで下ってきました。この付近のハイマツが雷鳥の生息場所になっているのかな?残念ながら今回は雷鳥には会えませんでした。
道は、真新しい木で補強された階段まであります。最近整備されたのかな?ありがとうございます。
そして岳沢パノラマまで下ってきました。上高地から登ってくる人にはちょうど良い位置にある休憩ポイントで、天気が良ければここから上高地方面の美しい大パノラマが広がっているそうですが、
相変わらず眺めは残念でした。お昼に到着予定の岳沢小屋でガスが抜けてくれればなぁ。
岳沢パノラマを通過したあたりから森林限界を下回ったのか、景色は林の中になり始めます。
この辺りの道はザレていて滑りやすく、簡単に落石を引き起こしてしまいそうな危険な場所。実際に事故もあったそうですし、自分も非常に危ない経験(大きくスリップ)に合いました。何とかバランス取れて事なきを得たのですが、バランス取りそこねていたら絶対に滑落していました。
岳沢小屋もだいぶ近くに見えてきましたが、もう疲れまくっている足にとってはまだまだ先は長い(^_^;)
つづら折りの下り坂を繰り返し、岳沢小屋のテント場を通過、枯れた沢を横断すると、
ビールも飲みたい所だけど、帰りの運転があるからこれは我慢して、
おサボりメニューであるカップヌードルカレー味と甘~いコーヒーでございます(^_^)
カップヌードルが疲れまくった体に染み渡る、美味しゅうございました♪
紅葉も綺麗だな。
そして中央右側のハイマツの真ん中をよじ登る重太郎新道から、中央左奥の黒い吊尾根の山体まで見ることができました。
いやはや、頑張って下ったわ(^_^;)
途中に天然のクーラーがあったみたいですが、完全に見逃しました...
そして木道が見え始めたら、上高地まではもう少し。この時点でもうヘロッヘロ(*_*;
通常は1泊2日の登山ルートである今回の奥穂高岳の登山、余計な荷物もあって本当に疲れた登山でした。決して天気に恵まれたわけでは無い中、重い荷物を背負って”吊尾根”や”重太郎新道”を下って来れたというのは自分には大きな自信となりました。
この経験はきっと今後に活かせることができると確信することが出来た事、これは自分には大きなのを掴めたと言えると思います。
でも、このルートは2泊3日で楽しみたい登山だったかな(^_^;)
【参考リンク】穂高岳山荘