2014年のNHKの大河ドラマ”軍師官兵衛”。黒田孝高(黒田官兵衛)が生まれた土地がここ姫路。姫路といえば姫路城。現在天守の修理中ですが、その改修中の天守を外側から見ることが出来る「天空の白鷺」が、2014年の1月15日までで解体が始まってしまう。つまり外側の目近から天守を見るチャンスはもう一生ない!
というわけで、姫路まで行ってきたという話。
おはようございます、天気がとても良いこの日。実は九州へ旅行に行ってきた帰りについでに寄った場所の1つが姫路。(その時のお話はまた別の記事で)
姫路城の近くにある白鷺小学校・白鷺中学校のフェンスには、桜の木らしき切り株が。フェンスを飲み込んじゃったのね。
そんなこんなで、サクッと姫路城入口へ。ちなみに姫路駅から姫路城へは1本道で行けちゃいます。
お正月休みだからか、国宝だからか、さすがに人が多い。でも入場ゲートはスムーズに抜けられました。
400円なりぃ!
今年1年、姫路城は大人気で大混雑でしょうね。
姫路城の歴史を簡単にお勉強
姫路城を居城としていた黒田孝高(勘兵衛)は、播磨へ侵攻してきた秀吉に、黒田孝高(勘兵衛)はお城を秀吉に譲ります。
- 1580年 秀吉が黒田孝高に姫路城の大改修を指示。
- 1598年 豊臣秀吉死去
- 1600年 関が原の戦い(東軍勝利)
- 1601年 池田輝政(東軍)、姫路城の築城を始める
この流れを知っていると面白いと思いますよ。
入ってすぐ、三国堀の北石垣のV字に見えるのが秀吉時代の空堀の痕跡。関ヶ原の後に池田輝政が埋めたらしいです。
挾間の形に役割があって、長方形は矢挾間、正方形・三角形・円形は鉄砲狭間なのだそうです。
これは江戸時代初期の補強石垣。これも池田輝政が築いた石垣とのこと。
そして、補強石垣のすぐ近くにある切込ハギの石垣。方形に整形して積まれた石垣は、この姫路城では珍しいそうです。これも池田輝政時代。
ここには大きな鏡石。邪気払いや敵をやっつける意味を込めて、こういった城門の近くにの石垣には鏡石が置かれています。
各時代の鯱瓦が展示されていました!これは江戸時代の鯱瓦の実物!
姫路市龍野○丁目 瓦製造業 大○瀬市○二門 ○○西谷増吉 うーん、なんて書いてあるのだろう…説明書きが欲しいです。
昭和時代の鯱瓦。ヒレの位置など年代に寄って作りが全く違うのは面白いですね。お顔も意外とカワイイ。
奈良県の鈴木瓦工業さん作成。地元姫路の業者じゃないんですね(^_^;) でも今回の平成の大改修で新しく載せられる鯱瓦も、奈良県の山本瓦工業さんで作成されたとのことです。
この石棺、石垣に転用されていた石棺で、昭和の大改修の時に発見されたとのこと。古墳から出土した石棺を石垣に使うって、何てバチあたりな(^_^;) というか中で安置されていたご遺体はどうなったの?
木下家 桐
どうして瓦ごとに違うのかを伺ったら、その瓦をを治した家の家紋を付けられるそうです。つまり誰が直したかがわかるそうで。
そして天空の白鷺の入口に到着。180分待ち(T_T)並びますよ、ハイ…
2時間ほどでようやく券売機に到着。予約のある人はスイスイとエレベーターまで進んでいきます。予約しておけば良かった、というか予約できるなんて知らなかった。
入館券を買ってからさらに1時間。やっとエレベーターに。並び疲れた。
エレベーター途中、城壁の近くを天守までグングン登っていきます。
天空の白鷺の8階、最上階に到着!さすがに眺めが良い♪
こちらは姫路駅方面。中央の太い道路の突き当りが姫路駅。
同じく池田家 家紋 蝶の鬼瓦。年代で家紋が違うのかな?(^_^;)
これは何と、池田家の家紋が上下逆さまの失敗作。お城の築城には膨大な瓦の数が必要だから、失敗作も紛れ込んでしまったのだろうとのこと。どうせ見えないから使っちゃえ!だと思うのですが…
屋根の目地に屋根目地漆喰。こんな細かい作業を、すべての屋根の目地で行われているなんて本当に凄い!
丸瓦も古くても十分使える瓦は、今回の大改修後にも流用しているそうです。
幻の窓があったらしく、ぱっと見は5枚の窓ですが、壁の中に2枚の窓が埋められていたんだそうです。つまり本来は合計7枚。築城時は、天守4方向の大パノラマを眺める事ができるようにしてあったとのこと。やっぱり地震対策で断念したのか?
壁の漆喰の厚み。外壁の漆喰の厚みは、江戸時代は3mmほどだったのが、昭和の大改修では30mmのモリモリの漆喰の壁にしたそうです。
この図は、1998年に新発見された姫路城の図。1682年から1704年当時の姫路城の様子がわかる大変貴重な資料なのだそうです。
長居してしまいました。下りましょう。まだまだ他に展示物はいっぱいありましたよ。
1階の出口にもパネル展示を中心に色々と勉強することができます。
いやいや、さすがに立派なお城でございました♪内部で2時間ほど長居をしてしまいました。
帰り道にも見どころが。
この宝篋印塔の基礎の石が石垣に転用されています。
この油壁は、池田輝政より前のもので、工法で作られているとのこと。400年以上前の土壁が残っているということ?
キリシタン大名でもあった黒田孝高、その名残なのか十字架の鬼瓦も見ることができます。
はの門の柱の基礎に、石灯籠の基礎石(左上)が転用されています。使えるものは使ってまえ!なのですね。
るの門には刻印もあったりします。刻印そのものはアチラコチラにあるらしく、宝探し感覚で探せますね。
さすが日本の3名城のひとつ姫路城。天空の白鷺が無くなった後、今までどおり内部から天守へ登ることが出来るようになったら、また訪問したいですね!