前回の記事、東日本大震災からの復興はまだまだこれから、宮城県と岩手県の太平洋沿岸地域をぐるり鉄道旅!名古屋から石巻まで移動編の続きです。石巻駅に到着したブログ主はお腹ペコペコ。ということで石巻でお昼を頂きつつ現状を見るために石巻市に立ち寄りました。2011年のゴールデンウィーク、そして同年の冬には近寄ることもできず近寄りがたいこともあった石巻市。その石巻市中心部の街歩きの様子をご紹介。
今回の石巻市のまち歩きコース
今回、石巻市の街歩きでは、
- 石巻駅
- お昼ごはんのプロショップまるか
- 日和山公園
- がんばろう!石巻
の順番で歩くプランでした。のんびり歩きまわったので、全部で4時間弱かけて歩きました。お腹いっぱいでゆっくりでしか歩けなかったというのもあります(^_^;)
レンタサイクルも借りられます
私は借りずに歩きましたが、レンタサイクル借りればもっと効率よく周れると思います。JR石巻駅の真横のレンタカー屋さんで、自転車も借りられるということです。
駅レンタカー東日本 石巻営業所
【住所】〒986-0825 宮城県石巻市穀町56−2
電話番号 0225-93-1665
参考にして下さいませ。
さてさて、ちょうどお昼に石巻駅に到着。移動ばっかで全然動いていないのに腹は空くもので(^_^;)
その駅前の街灯には東日本大震災の津波の浸水位置が。海からやや離れた石巻駅前でも人の腰ぐらいの高さまで津波が押し寄せたのか...
さてここ石巻は石ノ森章太郎の出身地の出身地。サイボーグ009の像が町にたくさんあります。
主人公の島村ジョー。サイボーグ009はリアルタイム世代じゃないけど主人公くらいは知ってるよ。
こいつ”ちゃんちゃんこ”っていうんだ、中国人設定なんですね。
そして最初の目的地である、お昼ごはんの”おさかなの店プロショップまるか”さんに到着♪
もとはお魚屋さんで、お昼だけ店内で食事ができるという石巻市の中では有名なお店。名物のお弁当はもう売り切れてしまったのは残念ですが、
食べたい商品を店の棚から選びます。今回は甘エビ、生しらす、イクラをゲット。イクラは明らかに多すぎな量なのですがこれでも店内で一番小さいイクラ(^_^;)
ご飯と蟹の味噌汁を付けて合計1,520円なりぃ!新鮮でとっても美味しゅうございました。
お腹いっぱい、石巻市を望むことができる日和山へ向かいます。その途中、
残った店舗の壁に浸水した跡がくっきり。駅から1kmあまりで津波の高さが3m近くにもなっていたのか...
日和山へは、住宅街の中の坂を登って進みます。海側へ近づくに従って所々で空き地が目立ってきました。
石巻駅から2kmあまりでしょうか、日和山公園に到着しました。
当日の日和山の山頂には八重桜が咲き誇っていました。丸々として綺麗だな♪
そして日和山の山頂からは、石巻市の市街地方面を見ることが出来ます。
その見晴らせる場所には、震災前の旧北上川・中洲の様子の看板が設置してあります。全然風景が違う...
そして現在。湊小学校は震災被災者の避難場所であり避難生活の場だったそうです。校舎のまわりもまだまだ空き地のままです。
そして海の方向も見ることができます。大きな橋である日和橋も見えますね。
同じアングルの現在。一部を除き、沿岸地域は何もない状況でした。
記憶違いかもしれないのですが震災当日のNHKの生放送中、津波が押し寄せて来て水位がどんどん上がり、橋のケタ下に船がぶつかってしまったのはこの橋なんじゃないかと。
たくさんの鯉のぼりが泳いでいます。あの”がんばろう!石巻”の看板の場所です。
最短距離で行ける道や空き地は、全て通行止めで簡単には近づけなかったのですが、親切な警備員さんに行き方を教えてもらいました、ありがとうございました。
看板を前にして急に現実を突き付けられたような感じがしました。
震災前のがんばろう!石巻の場所は、震災前はキッチン関連の仕事場兼住宅だったそうです。
一時は茫然自失の日々だったが、同じ被災者ながらも避難所で懸命に皆のために奔走する仲間に発奮「自分にも何かできることはないか」と考え思いつき廃材などを使い、友人と共に5日かけて完成したという
【引用元】被災地に燦然と輝く「がんばろう!石巻」
何もかもを津波で流され瓦礫と化した町のど真ん中で、どうしたらこんな行動力が生まれるのか。このご主人のお話を聞いてみたいです。
そしてこの柱、その会社の看板の支柱の1つのということですが、
このポールの一番上のさらに上、高さ6.9mという見上げなければならない高さまで津波が押し寄せたとの事でした。2階建ての建物の高さでは津波をかぶってしまうほどの高さです。
今回、名古屋からお線香を持って行ったのですが、線香立て的なのは無く手向けることはできませんでした。
この辺りは約1700世帯の商店や住宅が密集した地域だったそうです。
この辺りをかさ上げ工事して宅地か何かを造成するのでしょうか。
ここに押し寄せた津波で車が校舎に衝突、その車のガソリンに引火して校舎は焼けてしまったということでした。カバーから見える校舎の壁はボロボロになっています。
4千人近い石巻市の震災犠牲者のうち、およそ10分の1はこの地区で亡くなっています。
【引用元】石巻観光案内(1)― 石巻市中心部・近郊
あの日この場所でここまで甚大は被害が起きてしまった現実。お線香手向けられなかったなぁ。
柳津駅に到着。この看板の右側が消されてしまっています。というのは、
ここから気仙沼線はBRT。実質的にバスの代行運転の区間となります。
線路にアスファルトを舗装してバスが通れるようにして、早急なインフラの復旧を目指した結果がBTR。輸送量からすると、線路をもう一度引き直すというのはもう無いんだろうなぁ。
バスの車窓からチラッと見えたのは、あの南三陸町の防災庁舎。あの3階建の防災庁舎の屋上よりもさらに高い津波が押し寄せ、アンテナの上部でしがみついていた南三陸町長だけ難を逃れる事ができたという場所。南三陸町では高いところでは20m近くの津波が押し寄せて、死者数は566名にものぼったそうです。
防災庁舎の傍らに見えるかさ上げ工事の土地の最上部は、見た目で10mほどの高さしょうか。これほどの高さでも3月11日の津波では浸水してしまっているのかもしれないです。
東日本大震災からの復興はまだまだこれから、宮城県と岩手県の太平洋沿岸地域をぐるり鉄道旅!陸前高田市の奇跡の一本松と三陸鉄道南リアス線を行く。へ続きます。